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破綻した文章に凄味を感じさせる「歯車」

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あなたが良いと思った小説と著者名を教えてください

芥川龍之介「歯車」

なぜ、その小説を読むことになったのでしょうか?

芥川の小説は当時、学校の国語の教科書の定番でしたから、「蜘蛛の糸」や「杜子春」あるいは「蜜柑」などは、教科書で習った記憶があります。どれも、子どもにも読みやすく、平明な文章ですし、描かれる世界も童話的。ですから、「芥川龍之介」にはなんとなく親しみを感じていました。 「歯車」を読んだのは、高校のときです。芥川には私が教科書で習った種類の物語をは別に、精神的に病んだ晩年に書かれた、まったく種類の違う私小説があることを知り、自主的に読んでみようと思ったのです。

 

晩年と言っても、芥川が自殺したのは35歳ですから、あとになって考えると、すべては青春期に書かれた作品と言っていいのかもしれません。 同時期の作品では「或る阿呆の一生」という傑作もありますが、これはまとまった小説ではなく、高校生の私には「歯車」の方が、「ふつうの小説」として読むことができました。読んでみると、しかしそれは決して「ふつうの小説」、少なくてもそれまで私が親しんできた芥川の作った物語とはまったく違うことがわかったのです。

その小説を読んで良かったと思う感想

高校時代に始めて読んだときの感想は、「読みづらいくて、息苦しくなるような小説。読了後も、芥川の世界に閉じ込められたような閉塞感を感じてしまう」というものでした。 ある種の衝撃を受けたものの、「好きな小説」という感想は持たなかったのです。その後、何度か再読しましたが、これは「好きな小説」などという感想を持ち得ない作品です。 大学時代に再読したとき、その閉塞感ははっきりした感銘に変っていました。この作品には、筋らしい筋はありません。主人公の「僕」はイコール芥川。芥川が、知り合いの結婚披露宴に出席するために、東京のホテルを訪れ、そこで数日間過ごし、東海道線にある自宅に戻る、というだけの話です。 核となるのが、芥川の精神世界。精神を病み、睡眠薬などの薬に頼り、幻聴や幻覚に悩まされる。そして最後は「僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。(中略)誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれないか?」という、絶望的な心境に至る。その「芥川の精神世界」が小説の核であり、内容のすべてと言っていいでしょう。

 

暗示的なキーワードがいくつも出てきます。冒頭の「レエン・コートを着た幽霊」に始まり、義兄の轢死、黒と白、薔薇のような紙屑、もぐらもち、黄色のタクシー、蛆虫、鳥の羽音・・・。芥川の疲弊しきった神経はその1つ1つに翻弄されるかのようです。 読んでいて痛々しく感じ、「息苦しさ」と覚えるのはそのためです。 そんな状況でありながら、「僕」はホテルで原稿執筆の仕事もします。破綻ぎりぎりのところに至っていながら、まだなんとか踏みとどまっているのでしょう。執筆の傍ら、志賀直哉の「暗夜行路」や「メリメ書簡集」「アナトオル・フランス対話集」などのページを繰る。

 

罪と罰」や「カラマゾフの兄弟」などの小説を連想する。さらには、過去の自作「地獄変」などを会話の中に登場させる。つまり、彼は徹頭徹尾「文学世界」の中で行き続けているのです。 同時期の作品「或る阿呆の一生」の最後に「彼は唯薄暗い中にその日暮らしの生活をしていた。言わば刃のこぼれてしまった、細い剣を杖にしながら」とあります。それはまぎれもなく「文学の剣」でしょう。 芥川の作品はよく芸術至上主義と評され、「文学から文学を生み出す」というように批判されます。初期の作品にそれは顕著で、彼をひとことで表すなら「文学の秀才、優等生」ということになるのかもしれません。 その文学愛は精神が破綻しかけても彼の中に行き続け、自らの「文学的才能」を「細い剣」にして、杖とした。私はそう理解していますが、それだけに、「歯車」は特殊な小説であり、それまでの芥川作品とははっきり一線を画すのです。

 

その象徴は、「破綻した文章」。芥川ほど知的で理性的、冷徹な整った文章を書く人はいません。ところが、「歯車」では、あきらかに文章は乱れ、時おり不明な箇所も出てくるのです。高校時代「わかりにくい」と感じたのはそのためです。 たとえば、芥川の筆癖である「のみならず」と「~に違いなかった」の異様な多用。特に「のみならず」という接続詞を、過剰に使用しています。また、「僕」の行動があいまいになる部分もあります。主格の「の」、たとえば「その誰かの妻であることを知り」、これは「その誰かが妻であったことを知り」という意味ですが、主格「の」の使い方によって、わかりにくい文章になっているのです。 そして私は、この破綻こそが、この小説最大の魅力。「凄味」になっていると思っているのです。

その小説がオススメだと思う方は誰?

多くの人が高校か大学の時に読む小説でしょう。青春時代にぜひ一度、読んでほしいと思っています。しかし、本当に読んで欲しいのは、社会人になってから。社会を知り、世間を知り、人生や生活に悩みを抱えるようになったとき、ぜひ「歯車」を再読してほしいと思います。 「この芥川の苦しみに比べたら、自分はなんと安らかな世界に住んでいるのだろう」と思えるはずです。

これからその小説を読もうと思っている方へのアドバイス

短編ですから、サクッと読んでしまいがち。けれど、この作品はサクッと読んだのでは、内容をよく把握できません。それは上記の理由からです。ぜひ、長編を読むようなつもりで、ゆっくり時間をかけて、一語一語、読み飛ばすことのないように辿っていってください。

 

カンタンな自己紹介・プロフィール

56歳、男性、埼玉県。自営小売業者。妻と二人暮らしです。