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みんなのエンタメレビュー

感動した映画や面白かったドラマなどを掲載しているブログとなります。

太宰治の「円熟の芸」、女性一人称小説の傑作「ヴィヨンの妻」

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カンタンな自己紹介・プロフィール

埼玉県在住の自営業者、56歳の男性です。妻と二人家族です。

あなたが良いと思った小説と著者名を教えてください

太宰治ヴィヨンの妻

なぜ、その小説を読むことになったのでしょうか?

高校時代、現国の授業で太宰治の「斜陽」を勉強しました。教科書に載っていたのではありません。大学附属の私立高校だったので、授業はかなり自由なものでした。グループごとに一つの小説を選び、その「研究発表」をしたのですが、私のグループで選んだのが「斜陽」だったのです。高校生の授業にはあまりふさわしくない小説だったかもしれませんが、自由な校風なため、先生は「どんな作品でもOK」だったのです。

 

さて、太宰の小説は、教科書にあった「走れメロス」しか読んだことのなかった私は、「斜陽」に打ちのめされました。そして太宰にハマッたのです。よく「太宰治はハマる人はとことんハマり、拒絶するひとは徹底的に拒絶する」といわれます。それだけ太宰には「麻薬的な魅力」があるということなのでしょう。私は、前者でした。 それがきっかけで、太宰作品をつぎつぎに読むようになり、「ヴィヨンの妻」は、たしか大学一年の時に、その流れの中で初めて読んだと記憶しています。

その小説を読んで良かったと思う感想

ヴィヨンの妻」の「ヴィヨン」とは、フランス中世最大の詩人「フランソワ・ヴィヨン」から取っています。天才詩人ではあったものの、殺人や窃盗の容疑で投獄され、絞首刑の判決を受けますが、後、恩赦で放免。その後のことはまったくわかっていない、というデカダンスな文学者です。 物語の書き手は、元男爵の次男で帝大出の詩人・大谷の奥さん。「さっちゃん」の愛称で呼ばれる女性が、すなわち「ヴィヨンの妻」です。 この小説は、女性一人称告白体で書かれています。これは太宰がもっとも得意とした小説のスタイル。そもそも、太宰治は「晩年」という短編集でデビューしましたが、最初から大変な才人ぶりを発揮しています。

 

「晩年」には、15編の短編が含まれているのですが、一人称告白体あり、民話風あり、アフォリズム集あり、ふるさと津軽の方言で綴った小品ありと、それぞれがちがう文体、形式で書かれているのです。太宰文学の最大の特徴がここにあると、私は思っています。つまり「引き出し」が多いということ。ちょうど「ネタが豊富で芸風が多彩な芸人」のようなものです。そう。太宰は「文学の芸人」として、最高の才能を持っていたと思います。 中でも得意にしたのが、女性一人称告白体。最高傑作「斜陽」をはじめ、「女生徒」「待つ」など、女性一人称で描かれた作品のリアリティとニュアンスの豊かさは、他の追随を許しません。そして、「ヴィヨンの妻」もその一つ。ここに太宰の「円熟の芸」があると、私は思っています。 簡単にストーリーをお話ししておきましょう。「さっちゃん」こと「私」の夫は、先ほども行ったように、元男爵家出身の詩人。

 

しかし、生活能力はまったくなく、放蕩癖がひどいために、家にはろくに帰らず、長屋暮らしの生活は困窮しています。また、二人の間には四歳の男の子がいるのですが、栄養失調なためか発育不全で、言葉も赤ちゃんレベル、歩くことさえままならない、といった状態です。 そんな家族をかまうことなく、遊興に明け暮れる夫。ある日、小料理屋の夫婦が、二人の住まいへ怒鳴り込んできます。夫が小料理屋の仕入れの金を盗んだというのです。「私」はなんとか夫と夫婦をとりなし、翌日から、その小料理屋で働くようになります。 その小料理屋は夫の行きつけの店ですから、「私」が働き、夫は客としてくる。そして、閉店後二人でいっしょに帰る、といった、奇妙な生活が始まります。その間も、夫は家をあけることも多く、「私」は店の客に体を許すようなこともしてしまいます。 さて、クリスマスイブ。

 

ある女性が夫といっしょに小料理屋を訪ねてきます。実は、夫は盗んだ金で、場の女性たちとパーティを開き、プレゼントを振舞ったのだといいます。それを知ったママが、自腹でその穴埋めをしに、小料理屋へきたのでした。 夫は「金で、子どものためにパーティを開くつもりだった」と弁解します。自虐的になる夫に、「私」はこう答えます。「人非人でもいいじゃないの。私たちは生きていさえすればいいのよ」。

 

これが、あらすじです。こう要約すると、「どうしようもない夫と、強く生きる妻」という印象になってしまうかもしれません。しかし、この作品を読むと、夫婦の深い愛情が強く印象に残るのです。たしかに「どうしようもない夫」ではありますが、妻に対して「~ですか?」といった丁寧語で話すという、フェミニストぶり。もしかすると、太宰自身、女性に対してそういう言葉づかいをしていたのかもしれません。 「ひどい男だ」と思いながら読み進め、読了後には夫婦の愛情が深く心に刻まれる、そんな作品だと私は思っています。

その小説がオススメだと思う方は誰?

これはぜひ、「大人の女性」に呼んでほしいと思います。夫を持ち、家庭を持つ女性に、「こんな夫婦の関係もある。夫婦愛もある」ということを知ってほしいからです。男性が読むと、「大谷」と自分にどこか重なるところを感じて、ちょっと自己嫌悪を抱いてしまうかもしれません。

これからその小説を読もうと思っている方へのアドバイス

短編ですし、太宰の文章はとにかく読みやすいので、短時間で読めるでしょう。太宰お得意のアフォリズム、「文明の果ての大笑い」や「女には、幸福も不幸も無いものです」といった「キャッチー」なセリフが、そこここにちりばめられていますので、それを拾いながら読むのも楽しいのではないでしょうか。