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ビリーホリディ「奇妙な果実」の歌詞の迫力が好きです

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なぜ、その歌が良いと思ったのでしょうか?

南部の木には変わった実がなる 葉には血、根にも血 黒い実が南の風に吹かれて揺れる ポプラの枝にぶら下がった黒い果実 南国ののどかな景色 飛び出た目とゆがんだ口 甘く強烈な木蓮の香り 熟した実の饐えた匂い カラスが来て実をついばむ 雨は滴り、風は舐める 実は腐って木から落ちる 風変わりな苦い果実 これは、ビリー・ホリデイが歌った「奇妙な果実」の歌詞ですが、奇妙な果実というのは人間の黒人だということなのです。

 

想像するだけで衝撃的ですが、当時も衝撃的だったことと思います。 この歌の作詞者はブロンクスにある高校で教師として働いていた白人のエイベル・ミーアポルという人物です。同氏は、妻とともに共産党に入党していました。しかし、当時アメリカで共産党員であることは、秘密にする必要がありました。しかし、ミーアポルの隠された顔はそれだけではありませんでした。

 

彼にはルイス・アランというペンネームもありました。このルイス・アレンが、「奇妙な果実」の作詞者ということになります。 この「奇妙な果実」の作詞者ルイス・アレンことミーアポルは、もとより人種問題には関心を持っていたといいます。しかし、ある日、公民権運動の雑誌を読んでいて、衝撃を受けるのです。それは、南部のどこかで写された写真に、リンチでぶら下げられた黒人の無惨な姿がありました。当時、すでに黒人がリンチにあうことは余りなかったものの、未だにアメリカでこうした行為が行なわれていることを知った彼は、その時の気持ちを詩に綴れました。その詩のタイトルは「苦い果実 」でした。彼は自らこの詩に曲をつけました。 こうして、この歌は出来上がりました。彼の妻や黒人の歌い手たちに歌ってもらうようになり、この曲は仲間内から、次第に評判になり広まっていきました。  

 

それにしても、この歌の背景に隠された人間の信じがたい現実を、どう表現したらいいのでしょうか。これは、何なのでしょうか。戦争でしょうか。いいえ、対象は抵抗してこない、闘いを挑んでこない人間に、人間がこのようなことを平然とするということ……その現実があるということなのです。私が、この歌に関心を持たざるを得なかったのは、こうした人間の業とは何なのかを探したかったからです。

 

そして、ビリー・ホリデーという黒人歌手が、同じ黒人という立場でこの「奇妙な果実」を歌い始めたのです。では、ビリーとこの歌との接点は、どこだったのでしょう。それはカフェ・ソサエティというナイトクラブでした。このカフェ・ソサエティというのは、クラブには進歩的文化人等が集まっていました。ここのオーナーが、ミーアポルとビリーを出会わせました。

 

当時このクラブで専属歌手として働いていたビリー・ホリデイに紹介されたのです。ビリーは、その曲を自分のレパートリーに加えることにしたのです。 1939年のある日、その歌はカフェ・ソサエティの舞台で披露されました。しばらくの沈黙の後、人々はビリーの歌に賛辞を送りました。こうして「奇妙な果実」は彼女のテーマ曲的な存在となり、次第に、ニューヨークから全米へと広がって行きました。

 

レコード化も、大手の引き受けはなく、左翼系の小さなレーベル、コモドア・レコードによって録音、発売されることになりました。しかし、レコード化はされたものの、当初は販売エリアも限られていました。ラジオ局も、刺激的な歌詞の曲をかけようとしませんでしたので、普及には、一部の雑誌や口コミに頼るしかありませんでした。それでも、この衝撃的事実を盛り込んだ歌は徐々に広がり、やがて、公民権運動の柱ともなる影響力を持つ歌となっていったのでした。

 

この歌を歌ったビリー・ホリデーも壮絶な生い立ちを体験してきているようです。彼女が生まれたとき、母は19歳。母子家庭で育てられ、父はクラレンス・ホリデイ17歳とされていますが、確かなことは不明なのです。父は認知さえしてくれなかったようです。イギリスの音楽ジャーナリストが著した「ビリー・ホリディ」によると、それは1926年、クリスマス・イブのことでした。朝、当時の恋人と一緒にセイディが家に戻ると、11歳のエリノラが男とベッドの中に居たというのです。

 

男は有罪になったものの、親の保護と養育が充分ではないと判断されたエリノラは、カトリックの修道女が運営する施設に再送致されました。 この修道院は、13~18歳の黒人少女が集められた更生施設だと謳っていたが、内情は虐待や暴行が日常茶飯のように行われていたというのです。 父は、認知もしてくれなければ、母親は売春婦。保護不行き届きで、11才の時入れられた施設でも虐待や暴行が日常茶飯という凄まじい生い立ちなのです。

 

このこと自体、ビリーが歌った「奇妙な果実」と重なってくる悲惨さてはないでしょうか。 ビリーの結婚運も悲惨です。トロンボーン奏者であり、麻薬の密売人でもあったジミー・モンローと早々に結婚しました。彼はビリーにアヘンを教え、次いでコカインを覚えさせたのです。ビリーの情事は終わらず、彼女はやがてビバップのトランペット奏者ジョー・ガイと出会い、ジョーの影響で今度はヘロインに手を出してしまいました。 黒人として初めて立ったメトロポリタン歌劇場での晴れやかな舞台でも、デッカと契約を交わしたときも、彼女はジョーの支配下にあり、ヘロイン漬けだったと言われます。こうして、彼女は稼いだお金は、みんなジョーに押さえられてしまうのでした。

 

  1947年には、大麻所持により逮捕。ジミーとの離婚を機にジョーとも別れた彼女は、ウェストヴァージニア州オルダーソン連邦女子刑務所で8ヵ月間服役生活を送ります。けれど、同じ頃、彼女は再度ジョー・ガイとよりを戻し、今度はLSDに手を出してしまいます。数週間後にビリーは麻薬不法所持で逮捕され、懲役1年の刑に処されます。

 

それからというものスキャンダルは途切れず、経済的にも追い込まれていきました。彼女が出所したのは1948年3月16日でしたが、彼女の心身は破壊されていました。 「奇妙な果実」を歌い、公民権運動に影響を与えてきた歌手が、薬でボロボロになっていく……しかも、結婚した相手がビリーを支配し、報酬まで自分の自由にならない状態とは、まさに奴隷に似た生活ではないでしょうか。 1948年3月27日、それでも、彼女はカーネギー・ホールの舞台に立ちました。彼女は力尽きるまで歌いました。21曲、アンコールに応えて更に6曲。公演は大成功におさめ、ビりーは散っていきました。

その歌がオススメだと思う方は誰?

未だに人種差別をする白人へお勧めします。あるいは、人種区別をしている人々にも勧めます。

これからその歌を聴こうと思っている方へのメッセージ

世界で種族間の対立やら、民族紛争で多くの犠牲者特に子供たちの犠牲者が増えています。この対立の根に、人種差別があると思えます。この歌を歌ったビリー・ホリデーも壮絶な生い立ちを体験してきて、生きている間も薬づけで体をボロボロにしていきました。その生い立ちもトラウマだらけだったようです。今でも、黒人の貧困問題は深刻です。 「奇妙な果実」という歌が意味する歌詞を、改めて噛みしめ考えるキッカケにしていただけたらなと思います。 

 

カンタンな自己紹介・プロフィール

女 66才 ライター 夫と二人暮らし 東京育ちで現在は広島県居住。趣味は音楽鑑賞。特に、バッハに惹かれます。